「川の学校」と姫野雅義さん

テレビを視ていたら、徳島県の吉野川で行はれている『川の学校』について報映していた。
地域の小中学生を対象に、ボランティアの大人たちが運営している。校長は作家でカヌーイストの野田知佑氏。昔遊んだ様々な川や自然とのふれあいを様々な講師を招き現代っ子たちと共に学び体験する学校でした。それらは最近の学校教育から、遠避けられ、失はれつつある野外教育で、命がけとも言うべきものでありました。
この学校が生まれるには、きっかけがありました。
十年ほど前のこと、吉野川河口近くに第十堰があるのですが、それを1000億とも言われる税金をかけ河口ダムに作り替える計画が国交省により持ち上がった。地元政財界は当然の如く推進姿勢だったが、それに対し地元住民の中から、歴史的構築物の第十堰を残しダム建設中止を問う「住民投票」を求める動きが生まれた。その住民投票は成立し、なんと九割近くの建設反対の声が集まり、最終的に国や県議会を動かしダム建設は取り止めとなった。その運動のリーダーの仲に 姫野雅義(司法書士)という人が居た。
署名活動をし、住民投票を実現し、河口ダム建設を中止に追い込んだリーダーの一人でした。このことは全国に報じられ、注目された。
当時わが町設楽町に於いても設楽ダム建設問題で、建設の是非を問う「住民投票を求める会」が立ち上がり、その運動の一環として先例に学ぶべく「設楽ダム建設中止を求める会」と共に新城に於いて姫野氏を招いての講演会が行われた。どの様にして住民投票が実現したか知りたく私は参加した。講演の後の懇親会では直接お話もでき、名刺交換もした。話しは徳島阿波踊りなどにも及び、「徳島に来たら寄って下さい」と言われて別れた。
それ以来、姫野氏と会うことはなく、設楽町の「住民投票条例」も議会によりその必要はないと否決されてしまいました。
以来すっかり姫野氏のことも忘れていたのですが、彼はその後吉野川で「川の学校」を立ち上げ川との係わりを続けておられた。子供たちの川とのふれあいによる教育を実践されていた。そして・・・
そのテレビは姫野氏の悲しい死を告げていた。
彼の愛した吉野川で、鮎つりの最中、命を落とされたと報じていた。
今、氏の名刺を前に、彼の死を悼み、彼の残したもの、彼の思いがこれからも生き続けることを期待し、注目していきたく思っている。


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