沖縄選挙応援報告⑤

10月1日一夜明け宜野湾のそいそいハウスへ向かう。残念ながら宜野湾市長選の仲西春雅さんの当選はならなかった。出遅れと知名度不足はいかんともしがたかった。捲土重来を期してほしい。今日は赤嶺さんの案内で1日キャラバンツアー、宜野湾を中心に読谷までなかなか見られないスポットを案内していただき貴重な体験をして沖縄滞在の締めくくりの日となった。普天間基地をフェンス越しに観て廻り、滑走路の端にある赤嶺さんのお宅の屋上から普天間基地をまじかに見ることが出来た。選挙期間中はオスプレイも他の米軍機もどこかへ出払っていて静かなものであった。これが日常でなければならないのだ。滑走路が波打っているのがここからはよく見える。いかにも戦後の急造飛行場であったことがよく判る。次に緑が丘保育園へ。ここには米軍ヘリの保護キャップが屋根に落下、園児に当たれば大変なことになっていただろう。今は運動場全体がネットで覆われている。ここで思いがけない体験をした。帰ろうと車に乗ると一人の老人がドアをコツコツ、話しかけてきた。我々の基地反対の立場を知ってか、『辺野古へ早く普天間基地を持っていってもらいたい。私は早く補償を貰い出ていきたい。米軍は我々を助けてくれた。ありがたく思っている。』等と、とうとうと語るのである。歳を取りもう時間がない。早く解決してほしい。そのためには辺野古移転を早く進めてほしいという事である。我々はそのおじいさんの思いを黙って受け止め聴いていた。この思いが今回の宜野湾市における投票結果に表れている͡ことを知る。このおじいの問いかけ、訴ったえは重く深く、今後に生かしたい。次にあの窓枠が運動場に落下した普天間第二小学校を視る。今は運動場に2か所避難シェルターが作られたという。学校上空は飛ばないとの取り決めも守られることなく、しばらく防衛局からの監視員が常駐し米軍機が上空を飛ぶと生徒に避難指示を出していたが、シェルターが出来たため、監視員は引き上げてしまったという。今後は自己責任でシェルターに逃げろという事らしい。近くに中学校もあり、危険は日常的であり、普天間飛行場の撤去は喫緊の課題だとよくわかる。墜落事故が起きてからでは遅いのである。次に佐喜真美術館、今回は中は見ず、外観と沖縄のお墓を視る。ここには丸木イリ・トシさんの沖縄戦の図が常設展示されている。次に沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場モニュメント、ヘリのローターが本館コンクリートの壁につけた傷跡が生々しく保存展示されている。その後読谷村の座喜味城跡と博物資料館、チビチリガマを視る。どちらも沖縄の歴史、文化、戦中戦後を物語るものばかり。とりわけチビチリガマでは、最近起きた少年4人によるガマの史跡の破壊と云う行為があり、その後の少年補導更生の金城実さんらの取り組みが観られ心に残った。大変中身の濃いキャラバンツアーの1日であった。
その晩は、そいそいハウス赤嶺さん、森さんとお別れの晩餐を持つことが出来た。翌朝赤嶺さんらは野嵩ゲートのスタンディングへ、我々は那覇へと帰途に就いたのだった。




10:40那覇空港をたち、12:50無事中部空港に到着する。



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